写真協力:ホームランゆたか/LOOKS.TOKYO
皆さん こんばんは。エロ文筆家の鈴木亨治です。実は最近、脳炎とかいうものに罹患したんですが、どうも言語野をやられたらしく、ライターなのに言葉が浮かばないという不思議な事態に陥りました。なかなか味わえない感覚だったので、回復した今はむしろ貴重な経験だと思っています。いやぁ、つくづく脳って面白いですね。
というわけで、今回もスケベ脳を刺激するAV心理学講座を進めていきたいと思います。今回のテーマはズバリ「制服」です。
この日本において制服というのは、もはや社会システムの一部といっても過言ではありません。冠婚葬祭でのフォーマル服から、会社員が毎日着るスーツも広い意味では「制服」だといえるでしょう。
とりわけスケベ脳で発想するのは、JKの制服でしょう。私たちドスケベは、古くから制服に並々ならぬ執着を見せてきました。2022年となって、私服の学校も増えてきたというのにかかわらず、AVにおいても制服モノの需要は衰えることを知りません。
そこで今回は、日本社会における制服の意義と、その心理効果について考察していきたいと思います。
制服が誕生したのは聖徳太子の時代
制服は海外にもありますし、スーツは世界中で着られています。日本では、小学校こそ私服が大半を占めていますが、幼稚園や中学校、高校などでは制服を義務づけていることがほとんどです。
学生服メーカーのカンコーが10~60代の約1200人に行った調査によると、中学校で制服を着ていた割合は94.0%、高校では90.8%に上っています。
これだけ制服が定着しているのは、その歴史が深く関連していると考えられます。
日本最古の制服は、聖徳太子(今は厩戸皇子って呼ぶそうですが)の時代にまでさかのぼります。聖徳太子が定めた冠位十二階という制度を覚えていませんか?今でいう官僚の役職や位を帽子や制服の色で分けたっていうアレです。宮中での重要行事の際の着用を定めたもので、役職などによって飾りつけも異なっていたそうです。
その後、大宝律令や養老律令という法律ができると、官僚の制服制度がどんどん整備されていきました。なんと衣服令なるものまであったそうです。このときすでに男女によって制服の違いがあり、こうした制度は江戸時代まで続きました。
当初から制服は「公の制度として正式に定められた衣服・服装」という意味合いが強かったそうで、これが今も根づいていると考えられます。要するに制服は日本人の歴史そのものなんです。
なぜ制服はエロくなったのか
さて、日本で制服(特にJK)がエロの対象になったことについて、学者さんたちがいろいろと研究をしています。
特に有名なのは、イギリスの社会学者であるシャロン・キンセラです。彼女は日本のアニメとかサブカルチャーにめちゃくちゃ興味があって、日本に関する論文をいくつも発表していますが、とりわけ日本の女子高生論は日本の学者からも強く支持されています。
彼女の理論の出発点になっているのは、90年代に流行した「援助交際」です。当時、社会現象ともなって、数多くのメディアで「体を売る女子高生」が取り上げられました。
そして、その女子高生像は私たちの心に強く刷り込まれていて、一気に性のアイコンとして扱われるようになったというわけです。
実際に、その後日本の女子高生は、アニメや映画などで題材に扱われることが多くなりました。性のアイコンとして刷り込まれた女子高生は、社会的な抑圧と戦う自由な存在として描かれ、強い力を持って戦います。そういうアニメって多いですよね。というか、最近は女子が戦うアニメばっかりなような気もして、おじさんとしては少々ついていけない部分もあります。
ただ、「援助交際」を出発点として考えると、それ以前の話はどうかという問題が生じます。70年代、80年代の女子高生は今ほどアイコンとして定着していなかったのでしょうか。
いやいや、そんなことはないはずです。『スケバン刑事』に代表されるように、昔から日本の女子高生は何かと戦っています。80年代後半のAVパッケージを見ても、すでに制服姿の女優さんがいっぱいいました。当時は明らかに年上の女優さんだったので、とんでもない違和感がありましたけどね…。
「制服=フォーマル」だからエロい
先に説明したように、制服は「制度としての衣服」という意識が強く根付いています。冠婚葬祭の礼服もそうですし、学校で制服に関する校則が多いのも、こうした意識のせいだと考えられます。
しかしながら、援助交際を含めて、女子高生というのは社会システムにとらわれない自由な存在としても認識されています。これはつまり、女子高生の衣服と人格に大きな乖離が生じている状態です。
つまり、ここに大きなギャップが生じています。女子高生は常に「清楚さと奔放さ」を兼ね備えている矛盾した存在なんですね。
ということは、第1回でも触れたような心理学的に「コントラストの原理」が当てはまります。詳細な解説は割愛しますが、要するに「ギャップ萌え」を引き起こす心理現象です。
私たちは常に頭の中のイメージと実際の体験をすり合わせながら、さまざまな物事を認知しています。しかし、大人になって女子高生と触れ合う機会が少なくなってくると、常にイメージが先行しがちになります。つまり、女子高生は私たちドスケベの頭の中では、永遠不変に変わりません。それを具現化したものがAVの制服モノだといえるでしょう。
性を認識する時代を制服とともに過ごしている
また、制服に対する性的な関心が高まるのは、私たちが最も多感な思春期を制服で過ごす機会が多いことも原因のひとつだと考えられます。
心理学には発達段階という考え方があります。これは年齢による心理的な成長を段階ごとに区別して考えるというものです。
代表的なのがアメリカの心理学者エリクソンが提唱した8つの発達段階です。
・幼児前期:18ヵ月~3歳
・幼児後期:3~5歳
・学童期:5~13歳
・青年期:13~20歳
・成人期:20~40歳
・壮年期:40~65歳
・老年期:65歳~
このうち、性的な関心が高まり、個々人の認知が決定されるのが「青年期」です。わかりやすく言ってしまえば思春期ですね。この時期、男性はテストステロンという性的興奮を起こすホルモンがとんでもなく急上昇して、女性への関心が高まります。
カンコーの調査でもおわかりのように、日本人の約8~9割は思春期の多くを制服とともに過ごします。
つまり、私たちが性的指向を決定する思春期において、制服は常にそこにあるものであり、恋愛や性的な対象となる女性のほとんどは制服を身につけているクラスメイトだったりするわけです。
実際に交際に至れば性的な関係を結ぶこともあるでしょうし、仮にまったくモテなかったとしても、クラスのマドンナを思い起こしてオナニーをした人も多いと思います。もちろん、私も後者のうちの一人です。
要するに、私たちの多くはヒトの発情期とも呼ぶべき思春期に、制服を着た女子で性的な欲望を発散してきたのです。いわば性の初期衝動が制服になっている人が、かなりの割合で存在していることになります。
制服モノAVは「基礎」である
というわけで、制服が社会システムの一部になっている以上、制服に対して並々ならぬ興味と関心を抱かざるを得ないんですよ。こうした男性の性志向は、女性たちからたびたび批判の的にされますが、これは変態だからなのではなく、日本で生まれ育った男性なら多かれ少なかれ誰でも持っているわけです。
もちろん、その後の経験などで性的指向は徐々に変わっていきます。年齢を重ねるにつれて好みの女性が変わるのは普通のことです。ただ、誰でもベースには「制服」があるわけで、その強度の違いによって、性的興奮につながるかどうかも異なるのです。
いわば、制服はスケベの「基礎」であり、最も典型的な象徴ともいえるでしょう。
そのため、AVにおける制服モノの多くは、非常に多様な性癖と結びついています。とんでもない黒ギャル痴女だったり、ときには縛られて天井から吊るされたり、よりフェティッシュなジャンルでも制服は登場します。
これが礼服や喪服などの制服になると、シチュエーションも性癖もかなり限定されます。JKの制服に比べると、かなり限定されてしまいますよね。これは、こうした制服が一般的ではないからで、人格を持つ象徴的な存在にまで達していないからです。
JKの制服に対する性的な視点は、まさに十人十色。エロに限らず、それぞれの脳内でさまざな志向と結びついているといえるでしょう。それだけに一般的なアニメや映画でも広く取り入れられていて、女性たちから批判の的にもなりやすいのです。
いやはや、この原稿を書くまでにさまざまな資料を読みましたが、日本人の制服への想いはすさまじいものがあるなと、つくづく実感しました。制服が好きだからといって、決してキケンな性癖を持っているというわけではありません。だって、ほとんどの男性が制服には“お世話に”なってるわけですから!
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました!
次回からは別のテーマでも書いていきたいと思いますので、その際はどうぞよろしくお願いいたします!