「暖かくなってくると変な人が増える」とは私が小さな頃によく母親から聞いていた言葉。
恐らくいま思い返せば露出狂のことを指していたんだろうと見当がつきますが、当時の私には「変な人=面白い人」という謎の紐付けがされ、そのせいか(?)ありとあらゆる性癖に嫌悪感や偏見はありません。
お腹のムニ肉は愛嬌
お相手には一世一代の大暴露と覚悟を決めて告白された性癖も「へぇ~」で流してしまうことがほとんど。私にとって十人十色の性癖はメロンパンが好きかコッペパンが好きかくらいの違い。ちょっとこだわりの強い性嗜好も祖師ケ谷大蔵のラトリエ ドゥ プレジールのパンしか食べたくないの(こんな話題でお名前を出してスミマセン…)と言ってる程度のもの。
持って生まれた性癖によって生きづらい環境になっている人もたくさん見てきましたが、凡その人は悩む必要なんてないくらいに〝まともな性嗜好〟であることがほとんどです。
そしてほとんどの性の悩みはパートナーや第三者に打ち明けるだけで解決します。それなのに何故、人は性に悩み、拗らせていくのか。
本日は〝性の悩み〟について、よくあるコラムとは違った角度から紐解いていきたいと思います。
あなたの「セックスの時に好きなこと」は何?
そもそも性嗜好(最近ではあまり深く考えずに〝性癖〟と呼ぶ人も多いですが)とはどういうものなのでしょうか。
元々、性癖とはセクシャルなものだけを示す言葉ではなく〝性質上のかたより〟つまり〝クセ〟についてを表す言葉でした。それが漢字表記の〝性〟をセクシャルな意味に捉える人たちが多く、今ではほとんどが〝セックスの時に好きな行為〟という意味で使われています。
実は性癖を尋ねると「普通」と答える人も多く存在します。
ただ私に話したくないのか、それとも本当に己の嗜好を認識していないのかは分かりませんが、そもそも〝クセ〟というのは〝無意識にしてしまうもの〟なので意識しないと気が付かないのも当たり前なのかもしれません。私は性について掘り下げる必要がある仕事なので、自分のことも他人のことも性について四六時中考えていますが本来、それが普通じゃないことなのかも。
私は性癖に普通も異常もないと信じています。
〝特殊性癖〟と呼ばれる性嗜好も存在しますが、それはそこに辿り着く人が少ないことや語られることが少ない行為について否応無しにカテゴライズされただけで、そもそも人のセクシャルな趣味において他人と同一化すること自体、非常に難しいと感じています。
どんな性癖も唯一無二のあなただけの趣味嗜好です。
そのままにしておくと…大変なことになりかねませんよ?
自分の性癖を大切な人へ明らかにするのはきっと不安なことでしょう。もし拒否されたり否定されたときにはまるで自分のすべてを拒まれているように感じるからです。
重ねて自身の性嗜好が、犯罪行為や倫理的に許容できない行為にあたることに気が付いてしまった生きづらい人も実際に存在します。
人間の性に対する本能は自分の中だけで眠らせておけるほど脆弱なものではありません。むしろかき消そうとすればするほどそこへの関心は高くなり、思考の縁取りがハッキリとしてきます。
性犯罪を犯す人にはいくつかの特徴があるそうです。
・抑えがたい(コントロール不能な)欲求を持っている人
・支配欲が強い人
・自分の誤った行動も合理化する
・認知の歪みがある
これらの特徴は人に話すこと、少しづつ発散することで防げるのではないかと私は考えています。それがAVであって欲しいと考え、私はいままでこの業界で文字通り精を出してきたわけですが…。
この欲求を我慢し続けた結果、ただの妄想が脳内では現実として置き換えられ思考を正当化し、性犯罪に走るのです。
これは極端な例ではありますが、人間の芯となる強い本能の部分を抑え込んでおくのは間違いなく心に負担を抱えることとなります。食べたいものが食べられないとき誰でも大きなストレスを感じるはずです。
人は話すことでカタルシス効果が得られます。ただ話すだけでポジティブな気持ちになったり、不安感が取り除けるのです。
認識して伝えることの重要性
日本人に特に多いのですが、自分の性嗜好が分からないという人は注意信号です。
私のコラムで度々お伝えしていますが、自分の理想やして欲しくないことを言語化して伝えることが良いセックスへの必須条件です。どんな関係性であっても必ず口に出してお相手へ伝えることが必要で、それが出来なければいつか我慢が生まれ、無理が生じ、自分やお相手が傷つくことになります。
そうならないためにも〝自分自身のセックス〟と向き合う必要があります。
セックスしたことがない人口が増え、恋人のいない若い人が増え、カップルや夫婦のセックスレスも当たり前の現代日本。リアルなセックスへの関心が低すぎる割にはAVメーカーは数えきれないほどに軒を連ね、作品数も企画力も世界一。つまりどこの国の人よりもエロについて考えているのにお相手には伝えられられず、セックスに対して最も拗らせている国民だと言えるのではないのでしょうか。そこに不満やセックスレスの原因があるわけです。
都度、その時のセックスを振り返り、楽しかった行為や嬉しかった行為について次回はさらに高めていけるように努力することで心と体、両方が満たされるセックスが堪能できるはずです。
セックスは二人で創り上げるもの。たとえ自分の嗜好は大多数の人とは違うかも…という不安があったとしても秘めていては拗らせるだけです。人間の性に対する本能は、理性で完全に抑えきれるほどヤワなものではありません。
性癖の見つけ方
ではどのようにして自分の性癖を見つけるのか・・・それは経験しかありません。
最初から実際に経験する必要はありません。様々なAVを見たり、二次元作品を見たり、経験者の話を聞くだけでも良いでしょう。そこで僅かでも興味を持ったジャンルを掘り下げていくことで、新しい自分(性嗜好)に気が付くことが出来ます。
例えば付き添いで連れて行かれたSMバーでBDSMに関心を持ち、翌週も来店さらに翌週も来店と通っていくうちに気が付いたらプレイヤーになっていたというのはよく聞く例です。
友だちの野外セックス体験を聞いてその日のうちにパートナーと試してみたら完全にハマった、という事象も聞いたことがあります。
これらは当事者がきちんと行動していることにカギがあります。
BDSMに関心を持ちバーに通ってみたり、友だちに聞いた話をパートナーに打ち明けてみたり…。その先には明らかに昨日の自分では知りえなかった新しい世界が待っています。
すべての人は間違いなく自分だけの性嗜好を持っています。
「自分は普通」と考えている人はその嗜好とまだ出会っていないが故、そう感じているだけで必ず〝日常では考えられない剥き出しの自分になれる何か〟がどこかに潜んでいます。
私は〝その欲求を共有し発散することでしか得られない満ち足りた気持ち〟を世界中の人に知ってほしいと考えています。この快感は大概の不平不満や生きていく上での苦痛を吹き飛ばしてしまうほどの強大なパワーを持っているからです。
性の力で世界中の人に、まずは最も危険な状況に置かれている日本人のみんなに幸せになってほしいのです。
もし本当にパートナーや友人にも話せない性嗜好に悩んでいたらぜひ私にお話しください。
冒頭でお伝えした通り、私はちょっとやそっとの性嗜好に怯むことはしませんし、あなたの性へ対する姿勢や悩みを否定することは絶対に致しません。心の中はどんなことでも全てが許される自分だけのサンクチュアリーです。何者も介入してはいけない聖域なのです。
そんな願望を安全な方法を用いて開放することで、突拍子もない衝動の抑圧や自己像の安定が図れるのではないでしょうか。
人々が幸せになれるカギは自分の性的欲求をまっすぐに認めて安全な方法で解放することではないかと信じてやみません。